『「みんなの意見」は案外正しい』

ジェームズ・スロウィッキー著(小高尚子訳)

どんな専門家個人よりも、
たくさんの人が考えて出した答えの方が正しい。


まちづくりの仕事に携わっていると、
多くの人が関わって計画や事業を進めるために、
その意思決定はどのようにあるべきなのか、悩みます。



例えば8年前に丹波市柏原町でまちの活性化のため
イタリア料理店をオープンさせようとしたとき。


多くの人は賛成し喜んでくれたけれど、やはり地域の飲食店経営者は
あまり気分は良くなかったろうし、どちらかといえば反対していました。



地域のみんなが賛成するまで物事が進められないようでは
まちは動きません。


だから、ある一定の閾値を超えたと感じたときから、
計画が決定されたり、事業が動き出したりします。


市民参加がまちづくりの基本だと考えているので、
たくさんの人が関わって考えて、決めたことの方が、
少数で行った決定よりも良いものができると思っています。


まちづくりでは合意形成という言葉が良く使われるし、
良く使います。


意思決定と合意形成は相反することがあると思うのです。


「合意形成を主眼に置くと、誰かを刺激することもない代わりに、
 誰の感情も害さないような、どうでもいい最大公約数的な
 ソリューションになりやすい」


まちづくりにおける合意形成について考えさせられます。


もうひとつ、「集団極性化」。
みんなで議論を交わせば交わすほど良い意思決定や方向性が
生み出せる錯覚に確かに陥ります。


けれど本書では書いています。
「社会科学者たちは特定の状況下で議論を尽くすことは中庸を生み出さず、
 むしろ人々の考えを極端にする様子を記録してきている」


特定の状況下とは、多くの人が同じような意見を持っている状況で、
少数意見があまり無いときのこと。



滋賀県大津市の駅前商店街では老朽化したアーケードの撤去をします。


つい先日臨時総会で決定されました。
賛成大多数。

もちろんはじめは賛否両論。
最後までいろいろな意見が沸騰しました。


アーケードが無くなったらどうやって商売をしたら良いのか。
アーケードがあるからお客さんが来てくれる。
アーケードが無かったら商店街の体をなさなくなる。
アーケードがあったら雨の時便利だ。


最後までみんなで意見交換したからこそ、最後の決定に重みが
出たのだと思っています。


次はファサード整備のための設計です。


連・建築舎と一緒に奮闘しています。


「みんなの意見」は案外正しい