まちづくりから地域商業を考える、地域商業からまちづくりを考える。違わないだろ?


先日枚方の五六市に視察に来られた方から、「私たちはまちづくりから地域商業(商店街)を考えるのではなくて、商店街からまちづくりを考え」ている的な事を言われたけれど、それって違うのか?


そもそも変だなと思うのは、まちづくりって言葉を後に持ってきた途端かなり曖昧な話になる。まちづくりって色んなところで氾濫中なので。「防災まちづくり」「福祉のまちづくり」。


だから敢えて「まちづくりから地域商業を考える」とサルトでは言うのですが、地域商業から考えると理念が全く違うことになってしまう。


商業者は必然的にまちづくりを支えられる的な発想はおかしい。


地域商業は元気が良い時には地域のコミュニティを支える大切な存在であっただろうし、今もその中心を確かに、何とかになっているといえなくもない。


でも、何度も書いたり呟いたりしてきたけれど、地域商業は地域コミュニティを支えてきたから大切なのではなくて、地域コミュニティを支えられる程の売上と人材がいたから大切なので、それを逆に捉えると、現在、国が言い訳のように進めている「地域商店街活性化法」になってしまう。それって完全に間違っている理念だと思う。


じゃ、地域商業どうしろっていうんだ!てことになるんだけど、だから「地域コミュニティを支えられる程の売上と人材」を生み出さないといけない。商店街が地域コミュニティのために◯◯するっていう事業をすることは本末転倒。まずは地域商業が儲けられる体質にならないといくらコミュニティのために動いても、なんの解決策にもならない。地域商業と地域コミュニティどちらにとっても不幸の始まりになってしまう。


衰退する商店街の最大原因は、今の商売者にあるんだから(もちろん商業者の一部はちゃんと儲けている)、いっくら本質と関係のない事業をしたって地域商業が再生されるわけがない。集客イベント、集客イベント、集客イベント。売り出しのような取り組み。そんなことに税金使うって、単に今の商業者を延命させているだけ。


だから今の商売者が元気になるための事業ではなくて、今の商売者以外で、ちゃんとがんばって儲けている商業者と共にまちづくりを戦える人材が入ってこなければ、地域商業は再生されない。


そこが大切だからまちづくりから地域商業を考える必要がある。地域商業という機能を再生させる中においては、往々にして商業者の利害とぶつかってしまう。厳しいことを言えば、戦えない奴は去れということなので。でも、商店街からまちづくりを考えると、売れない人も売れるように!の掛け声になってしまう。商売のやり方を教わらないと、もういっかい商売を思い出さないと自分で集客できないような商業者を巻き込んで、税金使ってまちづくりする必要なんてない。二代目三代目で資産を食いつぶすような人は、そもそも商売が向いてなかったんだと思う。辞めるほうが正解なのに、気づけなくなってしまう。


ある一定のエリアにおけるコミュニティの生活の質を高めていくためには、地域商業はどうあるべきなのか、まちづくりの視点で考えると分かりやすい。質の高いサービスを提供できる人材が地域商業に入ってくるための仕掛けを考えたらよいのであって、今の商業者を守る必要は全くない。自然淘汰、新陳代謝がしっかりと機能する地域にしたらよいだけ。


あー、また敵を増やすかも。