まちづくりのリソース

衰退地を再生するまちづくりに関わって一番違和感があるのが「みんなのために」とか「みんなで一緒に」っていうような掛け声。みんなのために、みんなでする方がいい、というような感じ。

もちろん僕自身もまちづくりを仕事にしている人間なので、最終目的は「地域のみんなのために」であることに間違えはない。
でもそれを言っているだけで、まちづくりをしているような錯覚に囚われるけど、言ってるだけでは目的は達成できない。というか、それを声高に叫ぶことで見失うことがある。

みんなが到達したい目的を叫ぶのは、一見正しく思えるんだけど、現場では全くそうではないことが多い。
なぜならまちづくり(地域)のリソース(ヒト・モノ・カネ・ジカン)は限られているから。

目的を達成するためのプロセスをデザインして、リソースを調達して、実行するのが僕らの仕事。

まさにこれはマネジメントなんだけど、これを理解しない人が多い。なぜかまちづくりになると、プロセスの議論やマネジメントがしっかりなされないで、戦略が組めなくなる。

だから、声の大きな人が言っている事業や、頑張っている人の事業や、なんとなく弱者を救うような事業を否定できない。
どうなるかといえば、全部することになる。もちろん、全部するとリソースの分配は平等にせざるを得ない。

結果、どれも中途半端で効果が薄くなるから、結局目的としていた「みんなのために」は到底ならない。

限り有るリソースを理解していれば、平等になんて出来るわけがない。

これは何も税金で行う事業だけではなくて、みんなの時間や労力だって、公的なもので、それを戦略無き道へと突き進める、叫び声「みんなのために」「みんなで一緒に」という、一見正しいんだけど、みんなを結局陥れているような感じがするのです。

まちづくりのリソースの話。