『景観からの道づくり』

堀繁著・財団法人道路環境研究所発行。

道路行政担当者等に向けた著者の講話をまとめたものです。


「景観は好みの問題、センスの問題ではない
 ・・・論理で成り立っている・・・極めて論理的」


景観というと、無意識に、デザインの良し悪し、好き嫌いということが
頭に浮かんできますが、そうではないということが分かりやすく説明されています。


良い景観とは何か。

「視領域越しに視対象が視軸線を阻害されずに邪魔物なく見えている」
つまり、「見たいもの」が見やすいこと(目が満足すること)

「見たものが自分を大事にしてくれていると見てとれること」
「見たものがそれらしさ(アイデンティティ)を持っているように見えること」
つまり、頭が満足すること。



日本では狭い歩道に街路樹を等間隔で設けている例が多いのですが、
なんとなく不自然だなあと感じていたところだったのでその理由が理解できました。


まちなみや空間が街路樹によって見えにくくなることによって、
「見たいもの」が見えないのは目が満足していなかったわけです。


街路樹でも、街路樹を見たいと思わせるほどにボリュームある緑を
見せてくれるところは、それ自体が「見たいもの」になります。


ただしボリュームのある緑をつくろうとすると小さな植栽枡ではなく、
植栽帯が必要なので、やはり小さな歩道では難しいのです。



それと日本の伝統的な街路景観のあり方についても触れています。


「山あて」という都市の中から外の山を見えるように道を設計する方法。
今では電柱やら看板やら、建物やらで山が見えなくなっている。


街路樹ではなくて、まちのポイントに木を植えることでその空間を強調する方法。


橋のたもとに植わる「橋詰めの木」は、橋があるというメッセージを来街者に伝えています。
まちの入口、宿場町であれば見附などにもそのような木があります。
一里塚もでしょうか。


街路樹は、パリで始まった手法だそうですが、日本の伝統的な手法による
緑の取り入れ方をもっと真剣に考えるべきだと感じました。



それから、人間に優しい道づくり(自分を大事にしてくれる良い景観)のためには、
舗装のデザインやファニチュアよりも、車道を車道らしくしないことで、
車のための空間ではなく、人間の空間であることを示し、
人間が車よりも大切にされていると思わせることが大切だと書かれています。


だから、歩道に高価なモニュメントを置くよりも、舗装を高級にするよりも、
車道の黒アスファルトを変える方が効果があると。


アスファルトはどうしても日本人にとっては車のための道路と感じてしまうようです。