補助金が正当化される理由はあるのか?

自分自身も補助金を活用したり、国の外郭団体と関係して仕事をしてたりするので、こんなこと書くとある一定の方々を敵にまわすかなぁとは思いますが、まぁ思っていることなので。


すべての補助金は無くなる方が良いという前提に立ちつつ。


衰退地を再生させるための支援としての補助金ってのは、どう正当化されるのか。


色んな議論があるだろうし、難しい問題だけれども、以下は最低限の条件である、と考えてみたいと思います。


1.一定のシナリオに基づいて進められている。5年間程度の展開。年度ごとではない。

2.ある特定の決まったグループ(既得権団体)だけにメリットがあるのではない場合。

3.シナリオの進行により、明確な変化を見せない場合には必ず打ち切る。

4.情報共有、啓蒙活動は国や自治体が支援せず、民間の資金のみで、必要な時にだけ行う。



以上の条件にたてば、商店街や商工会議所、商工会への補助金は一般的に正当性において怪しい。


なぜなら会員同士の助け合いが組織本来の目的なのだから、それ以下でも、それ以上にもなりえないし、地域再生をそこに託すのは過剰な期待ではないだろうか。


会員の利害を超えた事業は実施しづらい。


会員さんみんなの得になるなんてのは、コンセンサスを形成するだけでも時間がかかるので、現状を打破できる力を持ち得ないのと、そもそもまちの再生は、組織単位ではなく、エリア単位なのだから、組織に所属している人だけを対象にしたとたん効果には疑問が残ります。


もし仮に会員のほぼ全員が納得して、みんなに寄与する事業であるならば、そこには補助金は必要ないと思います。だから発案者の齋藤一成氏も講演で言ってましたが、100円商店街は補助金無しですべき事業です。


もし仮に、そのような団体で地域の再生を強力に進められているとすれば、そこには異端児的な人がいるはずなんだと思います。


会員の利害とは別の論理で事業に取り組める環境を自ら作り出せる人材。


本来そのような人材は別の組織で活躍すべきなんでしょう。


それから、補助金や国のお金を使って、独立行政法人などで行われている様々な啓蒙(?)活動や連携事業。


これも国がすべきことでは無いし、そもそも必要ならば本来民間が自らの行動と資金ですべきです。


それと、中間支援団体なんて必要がある時にだけ存在すればいいと思います。国などの外郭団体は、色んなことに手を出して、補助金を含め国のお金を使って、なんとなくその組織を永続させるための事業を一生懸命しているようにみえるのは僕だけだろうか。


ではどのような場合ならば補助金が正当化されるのでしょうか。


まず、組織としては、一定のエリアをマネジメントすることを目的とする必要があります。具体的なエリアを持たないところには支援する必要性は無いでしょう。


次に既存の商業組織とは意思決定が分離していること。


それと一番大切ですが、支援する事業が一定期間に地域経済のパイを広げ、新しい顧客を掴むことが出来ること。


木下くんもブログで書いてたけれど、寄付税制が制度化されるならば、まずは正当化されない補助金を減らして、徐々にすべての支援を補助金のような再分配から、地域でお金をまわせる仕組みに替えていくことが望ましいと思います。