人口減少時代 地域商業再生のまちづくり、破壊的イノベーション

中心市街地活性化関連の仕事をし始めた頃に出会った言葉。商圏。
1999年頃なので、24歳、右も左も分からなかったわけですが、なんとなく机上の空論的で違和感のあった言葉。


その頃丹波柏原のまちに住んで、まち会社を立ち上げて、町家再生のイタリア料理店をプロデュースするという仕事をしていました。
当時は、当然のように京阪神からお客さんを呼ぶことができるお店と位置付けていたので、既存に考えられていた商圏なんて言葉、全く気にしてませんでした。


でも、この商圏という概念の変化を適切に捉えることが実はこの人口減少時代にまちが生き残るために、とても大切なんだと思います。


なんだか当然すぎる話なんですが、衰退しつつあるまちが抱える根本的な問題で、あまり直視されていないのも事実です。


当時丹波柏原にオープンしようと考えていたイタリア料理店は、京阪神の人に来てもらおうと思っていましたが、その狙いの要は、地元の女性が、京阪神に住む自分の友人知人を連れて行きたくなるお店、というものでした。店舗を作った理由はここでは省きます。
ちなみに丹波柏原の中心市街地人口は2,000人弱、当時の柏原町人口は10,000人程度。
この丹波柏原のまちの昼間人口は200%でしたし、恐らく周辺のまちからの買い周りによって成立していた商業地です。


現在の丹波市人口は7万人。
丹波柏原は、メガネ、服、雑貨、自転車、文房具といった買い周り品が中心のまちでした。


商圏は現在の丹波市の周辺を含むクルマで60分程度だったんだと思います。
では60分圏内商圏は今どうなっているか。大型店やナショナルチェーン、ネットによって、その範囲に住んでいる人の消費行動は大きく変わりましたし、確実な時代の流れである人口減少という事実。
つまり、一般的に考えられている商圏範囲で店舗づくりを考えていたら全く成立なんかしなかったわけです。だからといって、単なる観光客という発想でも成立しない。観光地ではないので。(観光の話は前々回を参照)


この事実は非常に当然な現実なのですが、地域商業の再生、中心市街地の活性化を語る時、どうしても直視できない、又はこれまでのまちづくりの疲弊感から諦め言葉が先に出てくる事があまりに多い。
商圏エリアでの消費行動が変化し、人口が減り続けるのだから、当然ながらまちも商売も変化せざるを得ない。


この変化は突然やって来たわけでは無いので、商業地は湯でがえるの如く気付いたらどうしようもない状況に陥っていたというのが現実なのでしょう。
そんな中でも自身の商売を変化させて時代に対応して来たところは、外に商売を求めています。


僕らがフィールドとしているのは個店経営ではなく、まちの経営なので、そんな中でまちの魅力を守り育て生き抜くために、どんな手を打つのかが腕のみせどころ。
しかしここで問題となるのが、商圏構造の変化、人口減少時代を認識できるまちのリーダー達が出てくるか来ないか。


大型店の出店とモータリゼーションに責任を押し付けて過去の良かった時代の商圏幻想を未だ抱く人。
自分のしていることは変えずに、このまちではもう商売ができない、しづらいと諦めている人。
人口減少の時代にまちの再生には人口増加が必要だと頑なに信じている人。


しかし、特に歴史あるまちにおいては、まちの魅力を守り育てていくという精神無しに、今後のまちの発展なんて有り得ない。
商圏という平面的で単純な概念ではなく、新たにマーケットを作っていくという発想で、どんなお客さんがまちを訪れてほしいのか、どんなお客さんであれば、まちの魅力に反応してくれるのかを真剣に考えないと、結局商圏の呪縛から逃れられず、まちはますます衰退する。


商圏は広げていく他ないわけだけれど、それは単に円を広げるのではなく、円の中の階層を定めて、まちづくりとして攻めていくことが実は一番近道になると思います。


まちづくりはみんなに来てほしいと言って、全方位的に取り組んでいるものが多いのですが、限られたリソースを効率よく使うためには、資源の集中投下が必須。


それは所謂単純な商圏という今までの平面的な概念ではなく、階層を絞り込んだ戦略を組み立てる立体的な概念が求められているといえます。
まちづくりの分野では、そんなことが破壊的イノベーションだったりするという、なんとも情けない状況なので、僕らがどんどん変化させていきたいと思います。