中心市街地活性化・地域商業再生の正当性

 中心市街地は、地域の魅力が歴史的に交流し培われてきた場所だったんだと思います。

 その地域で暮らすひとはもちろん、事業を営むひとも、その魅力から多くの恩恵を受けてきたエリア。誰もが恩恵を受けることができると社会的に認められているなら、中心市街地は公共性の高いエリアといえるし、その機能を行政施策として取り戻すことに正当性がある。いわゆる公共財として、正の外部性を伴ってる、伴っていたといえるから、その機能を取り戻すことへの正当性。

 一方で個別店舗は、社会経済の変化に対応し経営すべき私的存在。中心市街地を構成する一要素だけど、公共性が認められるものではないはず。すでに厳しい経営状況だとしても、仮に経営に影響する大きな社会的な変化が起こった時、商売が成り立たないと判断すれば、郊外へ活路を見出す、業態の変更など様々な経営的判断を独自に行うことが求められるし、それが自由にできる存在であることで、経済の活力は生まれてくる。

 中心市街地の衰退傾向は今に始まった事態ではないし、現在も人口減少(特に生産人口の減少)やインターネットの普及による商業の変化等の影響を受けることで、衰退傾向を脱する兆候はほとんど無く、そのような中で個別店舗の経営状況は芳しくない。中心市街地は、社会経済の変化を受け入れつつ、その変化に対応して存続していくことで、歴史的文化的にも、社会経済的にも魅力を守り、公共性を継承していくことが求められているのが、現在の状況。

 つまり、中心市街地の中で個別店舗の経営状況が悪いことは、それぞれの事業者の経営判断ミスであって、中心市街地が持っている(持っていた)公共財としての機能とは関係がないし、もっというと、その機能を継続できなくしているのも、個別事業者の責任といえなくもない。中心市街地が持っていた魅力は誰もが恩恵を受けることができたのに、魅力は消え失せつつあり、多くの人にとって用のないまちとした責任。

 現在行われている多くの中心市街地・地域商業関連施策が、全くもって間違いなのは、この当たりの見極めがあまりに甘いからか、または既存商業者の票が大切なのか、または全く地域再生というものを本気に考えていないのか。

 中心市街地の機能が失われている原因を作ってきて、それでも居座る人たちと、その居座る人たちをヨイショしてまとわりつく人たちと関連の外郭団体(既得権者)にお金を配っても、結局既得権益を守ることにしかならない。

 中心市街地が培ってきた機能を取り戻すには、大きな変化が必要。まさにイノベーションだと思う。
 イノベーション中心市街地で起こそうと思ったら、やっぱり既得権益が崩壊するようなメスの入れ方を考えるしかない。それはバサッとメスを入れるときもあれば、知らず知らずのうちにそうなるように仕掛けることもあるけど、結局、既得権を崩壊させるっていう決断がまず必要なんだと思う。それこそに正当性があるはず。

 その意志なしに、何ができるのかって考えてしまう。今年度の補正予算のバラマキ方といいい(商店街に400万円をほとんど意味なく配る、ただで渡すに等しい。審査するだけ意味ないと思うね、あんなのは。審査する人の仕事を作りたいだけか・・・・)、来年度の予算の付き方といい。

 そんなのは社会保障であって、中心市街地の再生では、全く持ってないと断言できる。
 自分自身が明らかにしたいし、多分将来多くの人が馬鹿げていると気づくだろう、この変な状態を変えないと。