民主党が掲げる観光を考える
鳩山政権の寿命は短そうですが、年末に出た成長戦略の中で「観光」という言葉が使われているので少し考えたいと思います。
観光を大々的に掲げて地域活性化とあるわけですが、観光という言葉をどういう理念で使っているのかが見えません。外国人観光の受け入れを数値として打ち出していますが、今疲弊している地域の実情とは外国人観光という感覚は程遠いでしょう。すでにある程度認知度があるような観光地や都市型観光は潤うでしょうが、日本のほとんどの中小都市の地域振興には繋がらないでしょう。観光地としてやっていけるかどうかはその地域が置かれている状況や立地、そこが持つリソースに大きく左右されます。みんなが京都や金沢になれないですし、ニセコになるわけでもなく、由布院や長浜や小布施になる必要もないのです。
由布院や長浜でも、今の課題はどうやって「観光地」レッテルを打ち破るかになっています。観光客が増えることで来街者の質と客単価の低下、投機的な外部資本による投資で地域のめざすコンセプトが乱れるといった問題に直面しています。
そんな中で由布院観光総合事務所の米田さんの言葉は印象的です。
「観光地としてのサービスに限界を感じている」
同じく長浜黒壁の伊藤さんも「観光地を作っているわけではない」と。
確かに一定のレベルの店舗を経営しようと思えば、そのまちに住む人口だけでは成立しないのが小さなまちの難しいところです。実際に丹波でまちづくり会社が経営するイタリア料理オルモのお客様は京阪神からも沢山来ています。由布院にあるレストランやカフェやバーもまちの人だけをお客様としていてはあれだけの質を保つことは難しいと思います。しかし広域からのお客様だけを相手に商売をしているわけではありません。地元のお客様にも贔屓にしてもらえていることが肝心です。観光客向けの物産館や飲食店が観光地に行くとよくありますが、本当にまちを観光したいと考えている人にとっては便利だけれども興醒めしてしまうといった時代になってきていると思っています。
地元の人が行かないようなお店には興味が無いという感覚です。
先日京都嵐山の先にある鳥居本のまちづくりをしている方々とお話をする機会がありました。嵐山ほど人が来ていると「嵐山のおこぼれを・・・」と誰もが思うものですが、鳥居本が嵐山と同じ土俵で勝負しても仕方がありませんし、勝てる見込みはないでしょう。しかし、あれだけお土産物屋さんや観光客向けの店が多いと地元の人(京都市民)は、超高級と付くところでも最近はほとんど行かない場所になっていてやっぱり興醒めです。季節ごと美しい嵐山は、今の嵐山でも良いのかもしれませんが、鳥居本は間近に来ている嵐山の観光客ではなく、京都市民を相手に勝負した方が良いと思うのです。
先日新開地の古田さんに丹波市で講演をしてもらいました。古田さんの話の中には一言も「観光」という言葉が出てきませんでした。新開地では「地域のファンをつくるにはどうしたらよいか」を命題としています。ファンは近くでも遠くでも良いわけです。どうも観光というと広域から人を呼ぶにはどうしたらよいかといった議論が先行するのですが、広域から人を呼べるような歴史や資源や立地のある地域なんて限られています。新開地が周辺の三ノ宮や元町と競うことができるモノやコトは何か。それを地域資源といいますが、それそのものよりはその切り口とターゲット設定が大切です。地域資源をどう表現していくか、それをどう伝えて、誰にファンになってもらいたいのか。誰であればファンになってくれるのか。そこを考えずに、歴史を単に「歴史です」と表現しても誰も見向きもしません。
中心市街地活性化基本計画の相談で福知山市に行きました。福知山城は明智光秀の築城です。もちろん地元では福知山城や明智光秀にこだわって色々事業をしていますが、福知山城やその歴史だけでは活性化するほどの人は来ません。人が来るようにと、観光客のために色々な事業をしても地域経済を潤すほどの人は継続的には来ないでしょう。大河ドラマ化されれば一時的には上昇するかもしれませんが。城崎温泉や日本海がその先にあり、大阪と京都との中継点ではあり玄関口といいますが、今は通過点です。城崎のおこぼれではなく、福知山が今置かれている立地や状況を考えればその答えは広域観光ではなく、8万人の人口とその周辺の人を満足させるまちをどうやって作るのかという命題がおのずと出てくるはずです。もちろん、広域観光のための施策や事業は色々と展開することは良いのですが、地域のリソースをどこに重点的に割り当てるのかという問題に直面したときには、広域観光ではないと冷静な判断ができなければ地域は生き残っていけません。
観光を考える前に、地域のおかれている状況を考えることが先決であって、観光のために何かをするというのは本末転倒です。何も広域から人を呼ぶ必要のない地域はいくらでもあります。観光をどのように捉えるかによるわけですが、地域とその周辺の人を生活面でも経済面でも満足させないような観光は継続性がないでしょう。最近師匠である郄田先生は「生活観光」という言葉を使いますが、歴史や文化の物見有山ではなく、地域の良さを、どのような切り口で地元の人も含め伝えていくかを考えることが本来の地域づくりにつながる観光になっていくのだと思っています。