まちづくりってワークショップじゃないよ

昨日京都でトークセッションの機会を頂きました。
http://taiken.onozomi.com/kdc/talk/


そこで話し切れなかったのでこちらで。


まちづくりというとなんとなく、その柔らかい言葉のイメージからか、市民が皆んなでとか、皆んなで理解しつつ、皆んなのチカラで!みたいな掛け声になるのですが、それって最終的な姿として否定しないけれど、ちょっと違うなぁと違和感を感じます。

サルトがフィールドとしている、地域経済再生や衰退地再生のような分野では、最終的な姿への道程は遠く、ビジョンを達成するための組み立てや方法論においては、少数精鋭のチームで進めた方が手っ取り早いし、成果が出るし、結果思い描いた最終的な姿に近くなるなぁと思うのが現場感覚です。


だから現場に出ずに、結果も出さずに、みんなを気持ち良くさせるワークショップを繰り返し、単に綺麗にデザインしてまとめるってのは、なんとなく一種の詐欺か欺瞞?、単なるガス抜き?と勘ぐりたくなるわけです。


じゃあまちを変化させるまちづくりって何かという話をしようと思ってメモしていたことを書きたいと思います。


まず、まちづくりの必勝法。

■現場に出て実務を握る
これは必須。実務を握らないとまちで起こっている現実が見えなくなる。プランニング、アドバイスだけではまちは動かない。

■スピード
みんなで病は遅々として進まないけれど、少数精鋭なら意思決定が早いし、時は金也、動くまでの時間は短い方が良い。

■事業性
まちづくりという言葉からは発想できない人が居るけれど、変化し続けるためには独立採算できないと止まってしまう。最悪なのは補助金だのみの一発屋

■変化を生み出す事に楽しみを感じられるチーム
事業は変化するしまちの状況も変化する。もちろん問題を抱えている地域は変わらないとまちづくりにならない。変化を生み出し、楽しめるチームがいる。

■ポリシーを持ちコミュニケーション能力が高いこと
コミュニケーション能力って、聞き上手でまとめ上手ということじゃない。それは勘違い。ポリシーをもって違いを議論して、物事を前に進めるチカラ。

■勝てば官軍、とにかく見せる
まちづくりの場合、少数精鋭で突き進むのは何も、自分達の満足のためだけじゃない。最終的な姿、ビジョンを多くの人に理解してもらうため。勝てば官軍負ければ賊軍。とにかく事業を成功させて、ビジョンを見える化することで、たくさんの人に理解してもらう。


そう思うのは、サルトが関わっているまちづくりは、地域商業の再生、衰退地再生だから、とにかくまちに新しい動きをつくり出さないと意味が無いと思って商売しているわけです。


だから、まちづくりは
≠ 合意形成
≠ ワークショップ
≠ 市民参加
≠ コミュニティ
≠ デザイン
だし、ましてイベントで集客することはまちづくりとは関係が無い。集客は手段だ。


じゃまちづくりって何かといえは、やっぱり神戸新開地で10年以上タウンマネジメントを実践してきた古田篤司さんの言葉につきる。


まちづくりはファンづくり。


たくさんのファンをつくるために、戦略を組み立てて実行する。それが総てだ。つまりマネジメントする。



このまちを好きになって、色んな人に魅力的なまちだよと口コミしてくれるファンづくりする上で、誰に一番最初に振り向いてもらうのか。


どんなコンテンツをその人にどうやって伝えるのか。


ターゲティングと魅力コンテンツの切り取り方とポジショニング。

誰に、何を、どうやって。
これ所謂コンセプトといわれるものの中身。コンセプトはキャッチフレーズじゃない。組み立ての枠組みだ。


地域のリソース(ヒトモノカネ)は限られているわけだから、リソースは分散させず、組み立てた戦略が円滑に動くようにしっかりとマネジメントできる環境をつくり、実行する。


これがサルトが考える、そしていま木下斉さんのAIA areaia.jp、今回HINTで一緒になった丹波のふたり、もともとサルトを立ち上げて今は石垣島でがんばる西村亮一さん、そしてまだ見ぬ全国でがんばる同士が考えているまちづくり、まちに変化を起こす、という事じゃないかと思う。


僕らが商売としてしているまちづくりは、綺麗にまとめるワークショップをする事じゃなく、地域に変化を生み出すような成果を出す事。