市民が!という妄想
伊賀市中心市街地活性化基本計画策定の業務をサルトで受けています。
通常、計画づくりだけは請け負わないというスタンスなのですが、伊賀は別格です。サルトでは、自治体に指名願いを出さないことを、独立した時に決めたので。
伊賀では3年前から複数事業をすでに展開してきているので、それなら本気でプランニングしたいと思い、自治体スタッフの意思確認もできたので、関わっています。伊賀は愛すべき素晴らしき都市です。
さて、市民が!という妄想。
市民がまちづくりに一生懸命にならないと!
市民がまず、まちの良さを分からないと!
市民が当事者意識をもたないと!
市民が盛り上がらないと!
市民が!
漠然とした市民像。
腐る程聞いてきたフレーズ。
当たり前の、誰も否定できない、だけどユースレスなかけ声!
そもそも、市民がそんな風になるためにどうしたら良いかが計画づくりにおいて目的であり、肝心なはずなのに、その方法を考えずに、スローガンばかり叫ぶのはなんと無能な事か。
手段と目的を取り違えるとはよく言うが、この目的を達成するための手段を考えないで能天気に叫ぶってのも、もひとつ厄介。
みんなの意識が変わるようにと、啓発活動、イベントばかりして、みんなで考えようなんていう妄想でワークショップを繰り返すうちに、まちはどんどん衰退していく。
別にみんなの意識がかわっていくこと自体は悪い事ではないけれど、使える資源は有限だってことに気づく人はいないのか。
計画期間は5年間。
それと市民が!ってのはタイムスパンが違うことが分からないのだろうか。市民が〜するまで、そこに税金費やすほど、自治体にも、まちにも余裕はないのに。
それでも、そこに時間とお金と人材が使われるのは、一部の声の大きな人を気持ち良くさせとく方が楽だから?
伊賀市に戻ると、やっぱり策定委員会なんかで、そんな意見が出てくる。
百歩譲って、集められた委員から出てくるのは良しとしても、計画策定担当者から、どうしたらいんでしょうなんて言葉は聞きたくない。
正面きって話をしたらいいだけなのに。市民が愛着と誇りをもってアイデンティティを感じながら豊かに暮らすというのは究極の目的で、この5年間の計画では、それに近づくためにどうしたら良いかを考えてくださいと。
単なるアイディアではなく、しっかりとしたビジョンと仮説に基づいた計画を考え抜いて、つくりましょうと。
でもそうやって、市民が!って話が出てくるのは、妄想にしがみついて過去に荒稼ぎしてきたまちづくりに税金で関わる職業人?といえるかどうかわからないが、その分野の人間の責任だ。
自分たちが、この伊賀市のプランニングで越えていかないと、誰が越えるのか、という気概で進みます!
そのためには、目に見える圧倒的な動きが必要だと実感してます。